BLOG BLOG CLASKAから送る日々のメッセージ

2009.09.16

大衆の反逆



真っ赤なハートからギョロリとのぞく二つの目。
おなじみPLAYコム・デ・ギャルソンのシンボルだ。


2003年にスタートしたというPLAYは今やギャルソンそのもののアイコン
と言ってもいいほどの存在になっている。
「犬も歩けばPLAYに当たる」てな具合で渋谷や原宿を歩けば必ず5、6人はPLAYを
着た若者を目にする。そして失礼な話、それをお洒落に着こなしている人を私はほとんど
見たことがない(と悪口を言っている当の私もあのハートにやられて即購入した口。しかも
ど真ん中に大きい赤いハートのヤツ…確かに上手く着こなせましぇん)。


この現象を見てまず思ったのは、これまでコムデギャルソンを実質的に支えていた
多数の黒子たちの存在を浮かび上がらせたということである。2000年代に入ってから
すでにギャルソン支持者の低年齢化は始まっていたが(当時青山で仕事をしていた私は
何度となく限定Tシャツを求めて青山店に行列する多くの若者たちを見てきました)、
それでもギャルソンを着るのはお洒落上級者であるという幻想が維持されていたように
思う。けれでもこのPLAYの登場によってその幻想が見事に崩壊し、現実が陽のもとに
さらされることになったというわけである。


むろん単にPLAYはギャルソンユーザーの現実を露呈しただけなく、その支持層をさらに
拡大したのも事実だろう。日本人の大好きなキャラクターをギャルソンらしく表現して
みせたし(だってあのフィリップ・パゴウスキーの描いたハートのアイコンはやっぱり
ギャルソンらしいですよね)、従来のラインより価格帯もお手頃。ハートマークさえ
ついていなければ極端な話、何の変哲もないTシャツであり、ポロシャツであり、
カットソーであるから誰でも手に取りやすい。いわゆるギャルソンらしい個性的なデザイン
はほとんど介在していないと言っていい。そう考えると本当にコムデギャルソンという
ブランドのビジネスセンスの巧みさにただただ舌を巻いてしまうのである。ただの推測だが
おそらく今やギャルソンの売上げを最も支えているラインなのではないだろうか。


とはいえ大衆化というのは特にハイファッションを標榜してきたブランドにとっては
諸刃の剣でもある。大衆化という名の売上げ増加と引き換えに死に至ってしまったブランド
は数知れず。少なくともギャルソンがPLAYという別ラインとして立ち上げたのは
最低限の気配り(メインラインではないですよというメッセージ)だとしても、さらなる
継続的な戦略が必要となってくるのは言うまでもないだろう。大衆ほど怖いものはない。
ただそこは天下のギャルソン、すでに手は色々打っている。期間限定ラインとして登場した
コムデギャルソンブラックなどはその例である。諸行無常のこの世界、変化し続けることが
生き残る知恵でもある。きっとまだまださらなる展開を用意しているに違いない。
ということで結局ギャルソンは凄いという結論になってしまうのでした。

Posted by okuma