BLOG BLOG CLASKAから送る日々のメッセージ

2008.12.24

タカシとヒロシpart2

前回は確固たるコンセプトが作品にこめられていることが現代美術シーンへの「入場券」
だと書きました。ただしコンセプトがあるというだけでは誰も相手にはしてくれません。
まずコンセプトを磨くこと。ピカピカに磨ききること。これが重要です。
村上隆さんと杉本博司さんに共通するのはコンセプトの磨き方が普通ではないことです。
例えば村上さんが提出するコンセプトのひとつが「オタク」です。
「オタク」は現代日本文化のひとつの象徴である…そんな程度ではだれも驚きません。
村上さんは「オタク」とその背景をもっと掘り下げます。
村上さんによれば「オタク」とは最後の大戦が終わってから約70年近くもの間、戦争もなく
経済的にも豊かな時間を過ごして来た「世界にも例のない平和な場所=日本」という
極めて「特殊な国」でしか産み落とされ得なかった「特異な文化」だというわけです。
そう定義付けたところに村上さんの独自性があるわけです。
昨今の現代美術家というのは本当に勉強家です。
一方杉本さんのコンセプトはもっとユニバーサルで、それは「存在と時間」です。
有史以来数々の哲学者たちを悩ませ続けて来た難問に果敢に、しかも軽やかに「写真」
という当時としては歴史的にも新しい表現手段のひとつを使って挑戦して来たのが
杉本さんです。観客のいない映画館の写真は、一本の映画が終わるまでフィルムを露光
し続け、結果劇場の内部空間と真っ白なスクリーンだけが写っています。変化する光は
全て蒸発し、不動の存在だけが写真に映し出されているという極めて哲学的な作品です。


二人の共通点はそれだけではありません。
大事なのはここからです。ピカピカに磨かれたコンセプトが着ている衣装、つまり
物理的な作品の完成度です。村上さんは「オタク」をひとつのコンセプトとして
掘り下げました。そしてそのコンセプトにどのような衣装を着せるか、となったとき
彼が行き着いたのが前回触れた「神の手を持つ男」でありオタク界のカリスマでもある
ボーメさんという最高の作り手による世界最高のフィギュアだったというわけです。
ただ記号としてのオタク的な衣装を適当に着せるのではなく、ピカピカに磨いた
コンセプトにふさわしい最高レベルの衣装を着せることによって完成させようという心意気。
これが世界のタカシのやり方です。むろんヒロシも同様です。古美術商の世界に身を置いて
いただけあって杉本さんの歴史や古いモノに対する知識と審美眼は半端ではありません。
完璧な構図、そのプリントに対するこだわりとクオリティの高さは他の追随を許しません。
そうして生まれた作品の物理性はコンセプトという観念の世界を越え、人間の情緒に
訴える力を持っています。だからこそ彼らは「強力」なんだと私は思っています。


それでもまだ成功が約束されたわけではありません。
事実二人が作品を発表した当時はたいして評価されませんでした。
そこで最後に重要になってくるのは運と営業力です。運は運です。では営業力とは何か。
ただ場当たり的に売り込みをかけるなどという愚かな方法を彼らは決して取らない。
それが他のアーティストと彼らが異なる重要なポイントです。例えば村上さんは海外で、
しかもコンセプトが重要な現代美術の世界で勝負するわけですから、重要である
コンセプト=言葉の翻訳には相当注意を払い、有能な翻訳者に英訳させたそうです。
言われてみればなるほどという感じではありますが、そのことを彼の本で読んだときは
アーティストと言う人種はそんなことまで考えているのかと本当に驚かされました。
他にもいかに美術界で影響力のある評論家や美術館キュレーター、ギャラリストの
目に止まるような工夫やしかけを用意周到に行なうか、といったことに誰よりも
敏感だったのが二人なのだと思います。


言葉は悪いけれど美術の世界における営業力とはいかに巧妙に「ひっかけるか」
ということだと言えるかもしれません。そしてそれが現代美術の世界で成功する
ひとつのセオリーであるといっても過言ではないでしょう。
でもこの「ひっかける」というレベルに到達することがいかに困難で、並大抵のことでは
ないかはアーティストならずとも想像がつくと思います。
現代美術のはじまりを思い出してください。マルセル・デュシャンが「泉」というタイトル
で展覧会に出品したモノは何だったでしょうか。時が過ぎ、表現方法は多様化、複雑化し
洗練されたとはいえまだまだデュシャンの時代は終わっていないのです。




デュシャンの問題作「泉」!



「そんなヒロシにだまされ…」ているのだろうか…。

Posted by okuma